ウィリアム1世

1370年 (25歳)

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シチリア王・ウィリアム4世: 十字軍でエジプトを手に入れたものの…。

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: エジプト王位が分割相続制のまま父が亡くなったため、兄が独立してしまった。

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: (Skypeで通信) 兄上…。
オートヴィル家でも、一族同士の争いは何度もありましたが、兄弟の争いはありませんでした。
素直に王位を譲ってもらえませんか?
兄・エジプト王・アダム: 断る。
もともと、末子相続制が気に食わなかったのだ。

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: DLCなしでは、長子相続制への変更は難しいのです。
作者も、次からはコンクラーベを導入すると平謝りしていますから…。
: メタな発言はやめろ。
どの道、この世界での私の気持ちが晴れることはない。
: エジプト全土が兄上のものとなったわけでもなく、兄上の直轄地は男爵領1つのみ。
勝ち目はありませんぞ?
: 勝ち負けの問題ではないのだ。
: 分かりました…。
決着を付けましょう。

1371年 (26歳)

: 兄上の男爵領を落としても戦勝点をあまり稼げず、エジプトをひとつひとつ城攻めで落とすしかなくて時間がかかったが、ようやく終わったな。
: おい、王家始まって以来の兄弟対決だったのに、画面写真のひとつもないのか。
: だって、見どころがなかったので。
: 見どころさん!? まずいですよ!
: 何がまずいんです?
: いや。兄弟対決の間も、HRE皇帝が一族の教育に口出ししていただろう?

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: 確かに。
かつて、ビザンツ皇帝はギリシャ文化と正教を押し付けてきたそうですが。
カトリック同士でも、文化が違うと口出ししてくるんですね。
: まあ、イタリア王国のデジュリ内の公爵領を皇帝から譲ってもらった恩義があるから、面と向かって不満は言えないが。

1373年 (28歳)

: さて。
ブルゴーニュ公からロンバルディ伯領を奪ったことで、HRE内のイタリア関連の領地は全て我らのものとなったな。

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: 今、皇帝は破門されている。
独立の大義名分はあるよ。
おまけに、破門を口実に攻め込んできた周辺諸国に苦戦している。
: 試しに派閥を立ち上げたら、シチリア単独でも圧倒的だ。
これは、いけるんじゃないか。

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: と思ったら、最後通牒を出せない。
どういうことだ…?

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: 調べてみたらシチリア領がどこかの勢力によって「占領状態」にあるとダメらしい。
破門戦争の参加国はシチリア領に侵入していないんだが、領内の臣下同士の戦争で「占領状態」が発生している。
これが原因だろうね…。
: ぐぐ、コンクラーベがあれば停戦命令を出せるのに。
DLCなしの状態では、どうすることもできん…。
: 待つしかないよ。
今、エルサレム王国がスンニ派のジハードを受けているから、加勢しよう。
: エルサレム王国はアイユーブ朝からダマスカスを奪って国力を増している。
加勢はシチリアの独立の後でも遅くないと思うなぁ。
皇帝の破門という、せっかくの好機を逃したくない…。

1374年 (29歳)

: と思っていたら、今回はアイユーブ朝本体も参加して最初からクライマックスだった!

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: 援軍を出して良かったじゃないか。
皇帝に最後通牒を出せなかったのは、神のご意思だったんだよ。
: そうかもな…。
とはいえ、早く終わらせたい。
エルサレム領内の敵は追い払った。
次はメッカを急襲しよう。
エジプト領内の紅海に面した領地から船を出せるから便利だ。

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1375年 (30歳)

: 敵もメッカの防衛に兵を割いたが、こちらも船で迅速に兵を送り込んで撃退。
メッカの陥落と決戦の勝利で、敵は降伏。
10年かかった70年前とは違い、今回は3年で片がついたな。
: エジプトを教皇に寄進できなかったのは残念だが、おかげで紅海に船を出し、敵の本拠をすばやく叩くことができた。
シチリア、いや、イタリアは、ただの大国ではない。
カトリックの守護者の責任を果たせる大国となったのだ。
もはやドイツの皇帝に遠慮する必要はない。
堂々と独立し、イタリア皇帝となろう。
: 領内の家臣同士の戦いが終わって、最後通牒を出せるようになったしな。
: できれば、穏便に独立を認めてもらいたいが…。

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「脅迫には屈しないぞ」

: やっぱりか。
: よろしい。ならば戦争だ

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1376年 (31歳)

: 主力の野戦部隊は、カルパチアと交戦中のはずの皇帝軍本隊を探して、アルプスの東を回って進軍。
首都攻撃部隊は北から上陸した。
: 野戦部隊は勝利を重ね、皇帝軍を北西に追い詰めた。
直属軍を出すまでもないな。
圧倒的じゃないか、我が軍は

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: それ、フラグだから!
: そうでもないさ。
追い詰めた末の野戦で、皇帝を捕らえた。

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: 先代でのことだが、皇帝がイタリアの領土を譲ってくれた恩を忘れてはならん。
また、先祖の一人、プッリャ女公(シビル)が野戦で捕虜となった時は、講和条件には含まれていなかったにも関わらず戦後に無償で解放されたそうだ。
我々も丁重に扱うように。


イタリア皇帝・ウィリアム1世: 1376年7月7日、独立を果たし、教皇からイタリア皇帝の冠をいただいた。

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: おお…、オートヴィル家の宿願が、ついに成就したか。
: だが、やるべきことはまだまだあるな。
聖職者叙任権は教皇にお返しする。
王号は破棄せずに全て家臣に配り、皇帝の直臣は王のみとする。
ピサ王国は併合する予定だが、それ以上の領土拡大はしない。
ただ、エルサレム王国のデジュリの回復は助けたい。

1391年 (46歳)

: 15年の月日が流れた。

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: そうだな。

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: なぜ兄上がイタリア王になっているんだ…。
: 反乱の神輿として担がれたんだよ。
自分から王位を奪ったわけじゃない。
: 兄弟対決を再び起こさないために、伯爵の地位に留めておいたのに…。
: イタリア王即位から10年、何事もなかったんだから、いいじゃないか。

: で、現在の状況はこれか。
あまり変わってないな。

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: 変わらないように動いたからね。
ビザンツグルジアに宣戦した時、ドイツがカルパチアに宣戦した時、いずれもイタリアが横槍を入れて断念させた。
こうやって、周辺の平和を維持するのがイタリア帝国の役目さ。
: 「平和のため」と言いつつ自分に都合の良い秩序を押し付けるのは、大国がよくやることだよな。
: まあ…、否定しないよ。
ビザンツにはデジュリ回復の願いが、ドイツには請求権を持つ者の願いがあって、それぞれに正当な理由があるんだけど、それによって両国が強くなればイタリアの、正しくはオートヴィル家の存続が危うくなるからね。
: お、認めたな。
: この身勝手な秩序もいずれは崩れて、我々もかつての大帝国のように滅ぶ時が来るのかもしれない。
我々の後に国を建てる者が誰であれ、是非、過去の失敗から学んで我々よりも上手に治めてほしいものだな。
: だから、歴史書をまとめる事業を始めたのか。
: そうさ。
まだまだ途中だけど、家訓と、それが生まれた背景については出来上がってる。
ご先祖達のかっこ悪い失敗も多いけど、包み隠さず書き記すように厳命しておいたよ。
読んでみるかい?
: どれどれ…。



――完――




編集後記

皇帝となったウィリアム1世が亡くなるまでプレイしてみましたが、大きな反乱が起こることもなく無事に治世を終えました。
終了年の1453年まで40年以上残っていましたが、そこでプレイを終了しました。

長い中断がありましたが、AARを完結させることができました。
そもそもプレイキャラにタンクレードを選んだ理由は、光栄のゲーム「チンギスハーン4」で親しみがあったからです。
🔗 参考: チン4の攻略サイト 「激動ユーラシア」

チン4では街道を敷いて蒙古騎兵や狩猟騎兵を送るのが最も速い一方で、海上輸送は何故か遅くて、遭難の危険もあって不利です。
ただ、「水の都」の称号を得ると全ユニットの海上での移動速度が2倍になり、遭難もなくなります。
私はあまのじゃくなので、ゲーム上有利な陸路ではなく、あえて海路を利用するプレイを模索していました。
「水の都」を達成しやすいのは泉州や臨安を持つ南宋ですが、南宋は強すぎますし、海路を使うのは日本を攻めるときくらいなので面白くありません。
なので、地中海のど真ん中にあって航海文化の高い都市・パレルモを持つ「両シチリア王国」でよくプレイしていました。

チン4ではゲーム開始時の史実の人物が少なく、各都市の家臣はそれぞれ数人程度です。
タンクレーディ両シチリア王国での数少ない家臣の一人で、また能力値もそこそこなので、序盤は施設建設でも戦闘でも役に立ってくれます。
🔗 参考: チン4でのタンクレーディの能力値

しかし、パレルモも中国ほどではなくとも文化値が高く、すぐに有能な架空人物が登場するようになるため、タンクレーディはだんだんと隅へ追いやられて、ひっそりと寿命を迎えるのが常です。
庶子とはいえ王族の一人。しかも史実では王となっているのに、これでは不憫だ…」と、冷遇しているのはプレイヤーの自分自身であること棚に上げて同情を寄せていました。

昨年にCK2を購入し、アイルランドでの練習もひと段落がつき、さて次はどこでプレイしようかと考えた時、やはり思い浮かんだのは第3回十字軍の時代。
そしてタンクレーディのことでした。
チン4では君主にならなければ子を作ることができませんが、CK2では家臣でもできます。
タンクレーディとその子孫でプレイして、シチリア王国を発展させよう!」という思いでプレイを始めました。

ただ、大きな勘違いがありました。
アイルランドの伯爵でプレイした時、国王となってからは余裕ができて領土拡大の速度も増したので、「はじめから王国となっているシチリアなら盤石だろう。安心して忠臣プレイができる」と考えていました。
HREとビザンツに挟まれているという危険な状況に気づかずに…。
また、ゲームにまだ慣れておらず初めての家臣プレイでもあったので、思い通りにならない友軍の動きに戸惑ったこともありました。
「鎖マーク」に気づかなかったんですよね…。
そんなわけで、ビザンツからは領地を奪われ、HREによって王朝が一旦滅ぶという波乱万丈な展開となり、お行儀よく忠臣プレイをしている場合ではなくなりました。

早期に王朝を復興できたのは本当に運が良かったのですが、今度は家臣プレイができなくなりそうな気配となりました。
女公・シビルの晩年は、本当に悩みました。
長男のオズバーンで国王としてプレイするか、次男のアンクティルに継がせて公爵としてプレイを続けるか。
AIに任せていたら今度こそ国が解体される危険がありますが、家臣プレイを断念することになってしまいます。
また、国王となってからの長男の行動はシビルの子供としてはあまりにも異質で、AARの物語として辻褄を合わせるのに苦労しそうです。
シビルが長男に資金援助をしたことをきっかけに、「今度、国王が無謀な行動をとったら次男でプレイを続けよう」と決心しました。
しかし、その直後にシビルが亡くなってしまい、君主プレイをせざるを得なくなりました。

12歳の時点からプレイヤーキャラとなり、王朝の滅亡と復興も経験したシビルには思い入れがあり、ここでAARを終えようかとも思いました。
また、DLCを購入して別プレイを始めてハマってしまったこともあり、このセーブデータとは疎遠になってしまいました。
しかし、「オズバーン 前編」の編集後記でも書きましたが、別プレイを経験したからこそ、このセーブデータの面白さに気づき、君主プレイへのためらいなど小さなことだったと感じるようになりました。
プレイを再開してみると黒死病やルナティック持ちの君主、兄弟対決という面白いネタに恵まれ、皇帝即位という結末でAARを締めくくることができました。
これでチン4のタンクレーディも報われたでしょう。
「利益は薄いけどロールプレイ上は必要かな」と思って始めたエルサレム王国への肩入れも、物語の幅を広げることができてよかったと思います。

こうして文章に残したことで、とても思い出深いものとなりました。
プレイの手を止めて画面写真を撮ったり、代替わりを機に振り返って文章を書いたりするのは面倒でしたが、皆さんからコメントを頂いたことで「おおー、読んでもらってるんだな」と励みになり、最後まで続けることができました。
どうもありがとうございました。